聖マルチノ
主任司祭 ジョヴァンニ・デリア
カトリック教会では11月11日は聖マルチノの記念日です。聖マルチノは特にフランスでとても有名ですが、実はフランス国内にある4千以上の教会は彼が守護聖人なっています。これだけで、この聖人がカトリック教会にどれだけ大きな影響を与えたかがよく理解できます。
聖マルチノは修道士になる前はローマ帝国の兵士でした。彼は子どもの時にキリスト教の教育を受けましたが、洗礼を受けませんでした。それでも、キリスト教徒らしい生活を送っていました。一番有名なエピソードに次のような話があります。
ある冬の夜、聖マルチノは死にそうなほど寒い中で貧しい人を見ました。その時彼は、馬から降りて自分の上掛を剣で二つに分けて貧しい人に半分を渡しました。その後、彼は夢の中で半分の上掛をかけている貧しい人を見ました。夢の中でのその貧しい人はイエス・キリストでした。その夢を見た後、彼は兵士をやめ、修道士になりました。
このエピソードは分かち合いの大切さを強調しています。その分かち合いは余っているものからではなく、自分も必要なものからの分かち合いです。その分かち合いは、例えばいくら寄付したかという量的なものではなく、品質的なものです。このポイントをイエス・キリストははっきり説明しました。マルコ福音書12章41節~44節にこう書いてあります。
「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。』」
イエス・キリストは私たちが無理をするようにすすめているのではなく、心を込めてほしいという意味です。分かち合いは余裕がある時にするものではなく、常に自分の考えの中に入っているものとしてすればいいです。私たちにとって分かち合いは特別なものではなく、キリスト教徒としての自然で自発的な行動です。この話は特に来月から大事な時期になります。でもクリスマスの時期だから分かち合いや寄付を思い出すのではなく、いつもキリスト教徒として自然で自発的にすれば幸いです。このために努力しながら祈りましょう。