主任司祭 ジョヴァンニ・デリア
修道院に入った当初、私が最も嫌いだった作業は草取りでした。理由は、作業する人数は20 人ほどいましたが、庭が広くて何日もかかるからです。それに加えて、作業の後には疲れた体で勉強にも励まなければならず、本当に厳しいものでした。しかし、その大変な作業が終わると、庭は本当に美しくなり、まるで天国を散歩しているかのように感じました。
待降節は、この辛い草取りの作業に似ています。私たちの心の中には、今年一年の罪という雑草がたまっています。待降節の間にこれらの雑草を取り除き、心を美しく整えます。それは、私たちの心を天国のようにし、来られるイエス・キリストを迎えるためです。
教会はこの大切な作業を手助けするために、さまざまな協力を行います。その中でも最大の協力は黙想会です。そこでゆるしの秘跡を受ける機会があり、心の大掃除ができるからです。そして、待降節の祈りをささげることによって、私たちの心はますます美しい庭へと変わっていきます。
クリスマスとは、神様が人間として来られることです。クリスマスとは、不可能と思えることが可能になる時です。クリスマスとは、何でもできることを信じることです。変わらないと思っている私たちの心も、変えることができるのです。今年のクリスマスは私たちの心を美しい庭に整え、イエス・キリストを迎えられるよう、共に祈りましょう。